国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の日本人初のトップとして活躍し、10月22日に92歳で死去した緒方貞子さん。補佐官として支えた前駐米大使の佐々江賢一郎・日本国際問題研究所理事長が朝日新聞のインタビューに応じ、緒方さんの理念や思い出を語った。そこに浮かび上がったのは、人命優先の信念を貫いた姿とともに、過酷な現場にあってもユーモアとちゃめっ気を忘れない、緒方さんの素顔だった。
1994年夏、ロンドンの英国際戦略研究所にいたとき、外務省からUNHCRへの出向を命じられました。「緒方さんは厳しい人だから面接を受ける必要がある」と言われ、面接を受けたのです。国連も難民問題も携わったことがなく、「頼りにならない可能性がありますが、全力でお支えします」と話した。それが始まりでした。
補佐官着任当初から、UNHCRはあらゆる難民問題を抱え、緊張感に包まれていました。最も驚いたのは、各地で民族紛争や戦乱の中でオペレーションをしているので、職員の亡くなる頻度が多いこと。そのたびにジュネーブ本部のオフィスで黙禱(もくとう)を捧げました。現場の職員は緊急時にどう脱出するかも常に準備していました。
そんな状況の中、彼女は幹部会議で「それで?」と、とことん質問し、課題に妥協しなかった。日本人の、しかも女性が並み居る男性幹部を指揮していた。まさに「コマンダー・イン・チーフ(最高司令官)」だったのです。
緒方さんは91年、湾岸戦争の…
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Source : 社会 – 朝日新聞デジタル